【アートの教科書】番外編.新しい風を起こした3つの分離派(ゼツェシオン)

【アートの教科書】番外編.新しい風を起こした3つの分離派(ゼツェシオン)

【アートの教科書】番外編.新しい風を起こした3つの分離派(ゼツェシオン)

どうも。アートの世界を探検しつつ、自分でも絵を描いてるSai(@saisei_to_hakai)です。

19世紀末にドイツ・オーストリアから起こった【分離派(ゼツェシオン)】についてお伝えします。

さい
アートの教科書、番外編!
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【アートの教科書】番外編.新しい風を起こした3つの分離派(ゼツェシオン)

【アートの教科書】番外編.新しい風を起こした3つの分離派(ゼツェシオン)

美術における「分離派(ゼツェシオン)」とは、19世紀末にドイツ・オーストリア各都市で起こった美術の革新運動こと。
それまでの芸術様式から離れて「俺らで新しい芸術やったるでー」ってやつです。ちなみにゼツェシオン(Sezession)とは、「分離」を意味するドイツ語。

分離派は以下の3つがあります↓

  • ミュンヘン分離派
  • ウィーン分離派
  • ベルリン分離派

ひとつづつ見ていきましょう↓

ミュンヘン分離派から始まる

ミュンヘン分離派から始まる

19世紀末頃。それまでの古くてゴチャゴチャ混ざった新古典主義のアートは「悪趣味だ」と言われるようになって、アーティストたちは新しいスタイルを求めるようになった。

んで1892年にメンバーが集まってミュンヘン分離派が結成される。

ドイツ芸術の中心地だったその頃のミュンヘンには『ユーゲント』っていう大衆雑誌があった。ユーゲントってのはドイツ語で「青春」って意味。

雑誌『ユーゲント』はミュンヘン分離派メンバーたちの絵が使われていて、都会的で若々しい感じから大人気になった。黄金期の少年ジャンプみたいなもんですね。

このムーブメントを「ユーゲント・シュティール」(青春様式)という。この呼び方はドイツの言い方。同じような様式のことをフランス・ベルギーで言ったのが「アール・ヌーヴォー」です。

でミュンヘン分離派の芸術運動がベルリンやオーストリアにも波及してって、ウィーン分離派やベルリン分離派も生まれてゆくと。

一番有名なウィーン分離派

一番有名なウィーン分離派

1897年。グスタフ・クリムトを中心に、オーストリアのウィーンで結成された芸術家グループがウィーン分離派です。

オーストリアの伝統的な美術アカデミーに縛られない、新しい芸術様式の探究を目指したやつら。

メンバーはクリムト以外に、コロマン・モーザー、ヨーゼフ・ホフマン、オットー・ワーグナーなど。でもやっぱりダントツでクリムトが有名で、あとは影響を受けたエゴン・シーレも出てくる。

絵だけじゃなくて、彫刻、工芸、建築などいろんなジャンルで、作風もバラバラ。装飾的で美しいアール・ヌーヴォー様式のものから、より抽象的で現代的なものまで、幅広いスタイル。

ただ共通の「伝統から分離して新しい芸術表現を目指す」って目的があった。で、後の芸術に影響を与えてったというわけです。

さらにくわしく知りたかったら、山田五郎さんの解説動画がオススメ↓

ベルリン分離派

ベルリン分離派

ミュンヘン分離派、ウィーン分離派に続いて1899年結成されたベルリン分離派。

内容的には他と同じく「新しい芸術やろうぜ」。

多くのアーティストが名を連ねてるけど、有名なとこでいうとムンクも在籍してたみたいよ。

【3つの分離派】まとめ

というわけで3つの分離派がありましたが、一言でいうと19世紀末の若者たちが「古いのから離れて新しいことしようぜ!」ってやった芸術運動のことです。

僕らもハイアートの構造から分離しようが、ローアートのデカ目とおっぱいから分離しようが自由です。あなたはナニ分離派ですか?

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