どうも。カルチャーマニアのSai(@saisei_to_hakai)です。
名曲「異邦人」で知られる久保田早紀。
なぜ彼女はあんな異国情緒あふれる曲を作ることができたのか?お伝えします。
【久保田早紀】昭和歌謡でも特異な存在感を放つ『ギター弾きを見ませんか』
まずこちら、「異邦人」よりぜんぜん知られてない名曲「ギター弾きを見ませんか」をぜひ聴いてみてください。
昭和歌謡の中でもかなり海外の音楽を取り入れてる曲なのがわかりますよね。
その秘密は、彼女の人生の歩みにありました。
久保田早紀は早くから海外の音楽にふれていた
- 1958年東京国立市に生まれる
- 4歳頃からクラシックピアノを習う
- あまり気が乗らなかったためフォークソングやビートルズを演奏するようになる
- ユーミンや矢野顕子に憧れて十代の頃から自作曲を書き溜めていた
- 中学生の頃はバンドに誘われ、キーボードを担当
イラン出張から帰ってきたお父さんに「イランのユーミン」的なミュージシャンのテープをお土産にもらい、繰り返し聴いてたところからアラブ音楽にも影響を受ける。
ソニーのコンテストに自作曲のテープを送ったところ、一次審査合格。このコンテストには松田聖子も参加していた。
しかし「アイドルのオーディションだった」ということに後から気づいた彼女は、次の水着審査を拒否。代わりに弾き語りを披露することになる。
そうして出会ったプロデューサーに「ポルトガルの音楽、ファドなんかも合うんじゃない」とすすめられ、聴いて影響を受ける。
で、それまでの昭和歌謡からは異質なほど異国情緒あふれる「異邦人」が作られ、ロングラン大ヒットになるのであった。
「異邦人」作った時点でまだ学生っていうね。恐ろしい人や。
「異邦人」は多くのミュージシャンに愛されカバーされている
「異邦人」は歌謡史に残る名曲としてEGO-WRAPPIN’や徳永英明やエレカシの宮本浩次など、多くのミュージシャンにカバーされ続けている。
中でも徳永英明のカバーバージョンはピアノのイントロからものすごく美しいのでオススメ↓
久保田早紀は昭和歌謡の中でもかなり特異な存在ですよね。
いつまでも残り続ける名曲。
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